病気のこと

正しいって何だろう、正しくあろうとする無意味さ

ここしばらく「ロンバーグ病」や「進行性顔面片側萎縮症」というキーワードをネットで検索していませんでした。

ブログを書いたり、掲示板をつくったり、自分が情報を発信するようになればなるほど、インターネット上で同じ病気の人のブログや症例情報を見ることに気が向かなくなりました。不安になることも多々ありました。

それは、自分が”正しい当事者”かどうか、意識してないようで意識して捉われてしまっていたから、という理由な気がします。

正しいなんて、ないのにね。嘘の情報は発信しちゃいけないけど、自分なりのことをすればいいだけ、ですよね。私はわたし。

それぞれが発信している情報を集めて、ここにくれば、いろんな視点のロンバーグ病に関する情報見れるようにしたいかな。

そうすれば、世界がぐっと広がる、かも。

そうやってちょっと想像すると未来は明るい感じがします。

*次にやること

まずはサイトを10個みてみる

病気のこと

友人からヒントをもらう

すっかりご無沙汰のブログです。

不定期更新過ぎて、もはや季節に一度更新すればいいほうですね、、。
先日、友人とランチをしていたときに当事者コミュニティの話が出たんですね。そこで

「優美は結局どんな風にしていきたいの?なんでやってるの?」

と聞かれました。私は、

  • 情報があることで、人の選択肢が増える。選択できる幅が広がることで自分で選べて後悔のない選択ができるのでは?
  • 自分が失敗した手術の経験を、例え他人でも繰り返してほしくない、もしくはそのリスクを理解した上で選んでほしい
  • きつかったり、ふとしたときに辛くなったときに立ち寄れる場所、存在にしたい

なんて、まぁ色々と答えたわけです。

そしたら『精神的な支えになりたいの?』といったニュアンスの反応が返ってきて、

んん?

と私の頭の中で「?」が出てきました。その後、友人と色々と意見交換をしてわかりました。

そこで気づいたのは、4,5年前と考え方が変わってきていることでした。

当事者コミュニティを作ろう!と思い始めた頃と変化してました。

当事者の人が「楽」で、生きるのが「楽しい」社会になってほしい、という想いは変わってません。

ただ、この4,5年で自分の能力や限界も知ったり、自分の生活の比重の置き方が変わったり、向き不向きに気づいたり、とにかく色々なことがあって、考え方が変わっていたのでした。

私には、当事者の精神的なケアなんて無理です。

無理だし、目指さないことにします。

寄り添おうと昔努力したことはありますが、もうやめます。

いや、、まぁ言葉を選んだり、接し方には気をつけます、人として。

優しくありたいですが、できもしない優しさはしない!

何年後かまた気が変わってるかもしれませんが、当分は精神的なケアの分野は捨てます。
取捨選択で、情報交換・情報収集、蓄積の分野に力を入れることにします。

友人との話で見えてきたのですが、

情報収集していくうちに当事者とその家族や近い人との、コミュニケーションに関する情報も得られるだろうし、そのヒントを提供することで、結果的にその当事者の生活が、気持ちが楽になればよいのですね。
なんだか視界がすっきりした気分でした。友人に感謝です。

あとは、、、

実行するだけです。笑

だらだらと失礼しました!備忘録のためにも記しておきました。

追い風よ、もっと吹いてくれ〜。

病気のこと, 日常

ヘアスタイルとTPO

私の場合、症状のくぼみよりも皮膚移植した手術の痕のほうが目立ちます。

こめかみのあたりなので、ポニーテールやハーフアップ、カチューシャをつけると見えます。

今はボブくらいの長さなので、ちょうど髪で見えなくなっています。

という前提を書いたところで本題。タイトルにも書きましたが、TPOを考えてみる。

TPOを考えるというよりは、TPOを無意識に気にしてヘアスタイルを決めている、そういう自分に気づいてブログを書いてみる。

プライベート、仕事、何かのイベントなどなど。

プライベートのときはどんな髪型にしたって自分の自由だと思う。
自由とは言っても、誰と会うのか、どこに行くのか、で見えるレベルを意識している自分がいるのは事実。

仕事のときは、基本目立たないようにはしている、はず。
会社には言ってあるから「バレるのが嫌」とか、そういうことはない。
チラッと見えるくらいのヘアスタイルにするときはあるかな。

イベント、たとえば結婚式とか。
この前出席した結婚式のときは、微妙に見えるくらいになった。
結果的にそうなった、という感じ。その日は美容院でヘアセットをお願いしていたので、基本的に美容師さんにお任せ。
途中、少し見えないように気を遣ってくださってるのを感じるが、全体のバランス的に半分くらいは見えるようになっていた。

ここまで書いて、別に正解も不正解もないし、自分にとってどっちがいいか悪いかもないんです(笑)

今回は「あんまり髪型とか、見える見えないは意識していないと思うー」と言いがちな自分と実際はそうではなかった自分に気づいたことをメモしたブログでした。

おまけ。
ニュアンスも難しいな、とブログを書きながら思った。
ヘアスタイルを振り返って「隠れている」「術痕を隠した髪型」と打っていたが、それはまた違うな、と。

隠したい〜という希望はそんなに強くなくて、
でも見せてないってことは「隠したい」という思いが潜在的にあるのかしら。

病気のこと

立ち止まって大切なことを思い出す

また更新が遅くなりました。しばらくはマイペースなブログのまま進むと思います(汗)

最近、病気に対して考えることがあります。あーでもない、こーでもないと思いながら、久しぶりにmixiのコミュニティを開いて、過去の履歴を見にいきました。

ここ1,2年で私は、病気に関する悩みとか落ち着いてきていました。

…というより仕事や日々の出来事のほうがいろいろあって、そっちで時間を使っていたという感じですが。

記憶の上書きではないですけど、悩んでいた頃の自分もだんだん忘れてきていて、自分は平気だったタイプー!なんて思いながら最近過ごしてました。

でもmixiみたら、あの頃だいぶ悩んでました。笑

あの頃、同じ当事者さんに支えられて今があるのだと、ハッとさせられました。
急に恥ずかしくもなりました。

同じ病気の方のいろんな言葉に支えられてました。
みんなそれぞれ前に進んでいるのをみて、いろんなペースがあっていいし、いろんな受け止め方があっていいんだ、と拠り所となっていました。

当時、若輩者の私を励ましてくれていました。
みんなで弱音や鬱憤を吐き出して、でもそれは前に進みたい思いがあるからだった気がします。不安ももちろんあって、それも共有して。

共感というよりは共有していた、感じでした。

そうやって支えられていたから、患者コミュニティをやっていきたいという思いを継続して持てていました。

なんかうまく説明できませんが、大事なことを忘れていたな、と思った日でした。

みなさん元気にやっているのかな。
楽しく過ごしていることを願います。

初心に返らなきゃ!

ーーーー

画像は5年前の自分の愚痴です、笑。こんなこと書いてたんだなー、なんて思い出しました。(あんまり変わってないですけど)

  

病気のこと, 日常

マイナスだと思ってたことがプラスのピース(一片)に変化する?

こんにちは。すっかりご無沙汰してしまいました。

ヒューマンライブラリーの頃から全く書いてなかったのですね…
いろいろあってこんなに時間が経っておりました。
ヒューマンライブラリーを経験したり、仕事の内容が変化したり、
最愛の祖父が亡くなったり、大事な相棒だった愛犬が旅立ったり、
親友の結婚式があったり、、、盛りだくさんな冬でした。

そんなこんなでブログはすっかりご無沙汰でした(汗)

4年ぶりくらいの診察に関しては、、、
祖父との別れの時期と被ってしまい、結局行けずじまいでした。
春になったらまた予約を取って行こうかな、と思いますが
今の自分にはエネルギーというか勢いがないから、結局夏頃になりそうな気もします。。

最近、気分転換に会社から歩いて帰っているのですが、その帰り道に某大学病院があるんです。
実は、その昔、この病院に診察に来たことがありました。

地元を離れて大学に進学した後で、自分でいろいろと病院の情報を調べて
「もっと色んな先生に診てもらう」「いろんな情報を得たい」と思っていた頃です。
たぶん二十歳になる前でした。

それまでは病院を探すのも親任せで、初診は親と一緒に行っていました。(通院も親と一緒でしたが)

だから、そのときは、自分で初めて病院を探して、
初めて診察を受けに行く、という何もかもが初めて尽くし。
私の中では、とってもとっても勇気を出した行動でした。

その頃は、某病院から2時間くらい離れたところに住んでいました。
大学病院って朝一で行かないと診察が受けられない可能性があるから(初診は予約とれないとかだった)
朝の通勤ラッシュでもみくちゃにされながら地図を頼りに病院へ行きました。

今になって考えると、事前にもっと調べて行けばよかったんですが(調べたつもりだったけど)
当日、初診の受付に行ったら「紹介状がないから、初診料がかかります」と言われました。

たしか3,000円くらいで、今思えばそういうものだってわかっているのですが
当時、学生でお金もそんなにない私にとっては「そんなにかかるの?!」という気持ちで
頭が真っ白になり、「じゃあ大丈夫です、、、、」と帰りました。。。
とにかく頭が真っ白になってどうすればいいのか分からなくなってしまったんですよね。
(まー、今まではいつも紹介状もって病院に行っていたから、知らなかったんですよね。)

ただ先生に診てもらいたかった、話したかった、という素朴な思いから
勇気をふりしぼって、慣れない都会のラッシュにもまれて一人で病院に乗りこんでいったら
そんな風に言われたから、田舎者の私は尻込みしてしまったのです。
・・・たぶん拒絶されたように感じたのかもしれません。
助けを求めにいったら、お金を請求された!と感じたのかな。

朝まだ9時くらいで、とりあえず近くのカフェに入って
泣きそうになるのをこらえて、日記帳になぐり書きし、母にメールをしたような気がします。
で、せっかく出てきたからと思って映画見て帰ったのかな・・・。(ここらへん曖昧ですが)

ということを、最近仕事の帰り道に病院を見ながら思い出して
当時は辛くてきつかったけど、あの時一歩を踏み出してよかったなとも思いました。

その病院で診察は受けられなかったけど、
その数ヶ月後に他の病院へ診察を受けに行った時に、初診受付の経験があったから
怯まずに向かうことができて、診察を受けることができたから。

何がどれにつながるか分からないし、
自分でどれにつなげるかも分かりませんが
どんな体験も、未来の+のピースに変えることはできるのかなーなんて思ったり。

すっごいエネルギーいりますけどね。(あくまで私の基準)

以上、徒然なるままに。

あと、ここ数ヶ月は原因が分かることが心にどう作用するか、について悶々と考えています。
原因が判明したところで、治療法には役立つだろうけど心にどう影響するかなって。
まぁ、これに関してはまた後日書きます。

病気のこと, 日常

「高校時代の私と顔面片側萎縮症」を振り返る前に

さてさて、ざっくりとした振り返りも
次は高校時代です。

この頃は、濃い。
ホントに濃かったです。
病気のことだけでなく家庭内も進路も
盛り沢山で、てんこもり。

だから、正直どういう切り口で
どう語ればいいのか分かりません。
全部つながってるといえば、つながっていますからね。

高校に入学したときには、
夏にはロンバーグ病の手術をすることは決めていました。
担任の先生にも伝えていました。
部活の新人戦が夏に予定されていましたが、
手術があるから出られないことも
早々に伝えて気がします。

1学期が終わると私の高校は
夏休みではなく夏期講習がありました。

夏期講習に入ってすぐの2週間を使って
手術、入院する予定でした。
退院して、新人戦の応援には間に合うように。
夏祭りには間に合うように。
文化祭、体育祭に間に合うように。

すべて逆算して予定を立てました。

結果的に全部間に合いませんでしたが。

2週間の予定が2ヶ月まで入院しちゃいました。

最後は完治していなかったけれど、
逃げるように病院を出ました。

一回の手術の予定のはずが
二度の手術を経験しました。

私は5,6歳から通っていた病院で手術を受けていたため、
病院は遠く離れていました。
飛行機使わないと行けない距離。
だから、友人も家族もいないところでした。
母が毎週末飛行機でお見舞いにきてくれていました。

個人の形成外科病院だったので
ベット数も3人部屋2つと個人部屋2つ程の
きれいでこじんまりした病院。

今思うと、よく2ヶ月も外に出ずに
耐えられたな、と。

いや耐えてはないんですけど(笑)

引き出しに閉まっていた過去を
全部開けて整理するのは
エネルギーがいりますね。

もう大丈夫だ、って思っても
エネルギーが必要なのは
しょうがないですね。

なんだか文字にすると暗い話になってしまいましたが、
そんな暗い話でもないのです。

手術や入院期間について、
もっと詳しく事実を書くつもりです。
退院後の学生生活も詳しく書くつもりです。

予定外の手術で予定していたことが
何一つできなくて、納得いかない小娘が
腹を立てて半ば意地でエネルギーが
おかしな方向に向かった話です。

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〈写真は思い出の高校〉

最近のお気に入りは、チャップリンの言葉。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

私の人生は喜劇。飽きない、いろんな経験ができる喜劇です。

ポエムちっくになってしまいました、笑

ちゃんとエネルギーをためてから、
しっかり書きますね。

また今度。

病気のこと

中学生の私と顔面片側萎縮症

前回、幼少期から小学生時代までの私とロンバーグ病について書きました。

今回は、中学生の頃を振り返ります。

私の成長期は小学生の頃がピークで、中学生になったら身長は1,2cmしか伸びませんでした。
成長期が終わったということは、それ以降は大きく骨格が変化しないということになるかと思います。

だから、私の症状も止まるのでは?と言われていました。

余談ですが、
私自身は、結果的に12,13歳くらいで進行が止まりましたが、その後いろんな方の発症を伺ったところ、実際はどうなんだろう?という疑問もあります。
成人してから発症している方もいるからです。

話は戻りますが、
中学1年生くらいからは、病院の診察では手術をどのタイミングでするか、という話がメインになってきていました。

部活一筋だった中学生のときの私は、
手術で部活休むなんてありえない!
と思っていたので、中学では手術はしない、と決めていました。

中学生に入ってからは年に1回の検診だったので、たしか3回しか病院行ってないと思います。

どのタイミングで高校1年の時に手術すると決めたかハッキリ覚えていません。。

進路を決めてから具体的に考え始めたとは思います。
高校を進学校にするか、工業系の学校に行くか、中3まで悩んでいました。
結局進学校に進み、大学進学を視野に入れたので、
今度は大学受験を考慮して、手術のタイミングをどうするかでした。

高校3年生は受験で無理、
高校2年生は勉強もあるし、修学旅行や行事もたくさんある、部活も自分たちの世代になる、
消去法で高校1年生の夏。
、、、となったのだと思います。

「思います」というのは、
当時の自分の病気との向き合い方は、
「こうすべき運命」みたいな、この道に進むのが当たり前という感覚で
あんまりじっくり考えてなかったんですよね。

手術をするべきもの、
と考えましたから。

中学の検診も、ゴールは手術にあると思って進んでました。

ゴールなんてないんですけどね。

病気に関しては、
髪がボブくらいの長さだったので
あまり見えてなかったから
人に何か言われたことはなかったですね。

人にもカミングアウトしている人もいれば
特に言ってなかったり。

私の病気のカミングアウト基準については、
また別で書きますね。

部活に熱中し過ぎて、
それ以外を気にしなかった時代でした。

自分の病気だけど、
情報は親任せで、他人事だった気もします。

思い出そうとすればするほど、
ホントに中学時代は
病気について何も考えてない、というか気にしていなかったように思います。(苦笑)

それ以上に熱中するものがあったせいもありますが。。

まとまり悪いですが、とりあえずこの辺で。

写真は、小学生の高学年のときのですが。

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病気のこと

病気について振り返ってみる・幼少期〜小学生

そういえば、このブログ上で私自身の病歴について
きちんと書いたことがない、と気づきました。

そこで、発症した幼少期から
振り返ってみたいと思います。

3歳〜5歳くらい
(私は覚えていなくて母から聞いた話もあります)

3,4歳頃から、患部である左のこめかみあたりの皮膚の色が白くなり始めたようです。
異変に気づき、皮膚科などに行くが原因分からず…
5,6歳くらいから、へこみ始めていきました。
その間も両親は病院を探すが、なかなか何の病気か分かりませんでした。
6歳のときに、大学病院だったか市立病院だったか忘れましたが、

もしかしたら、進行性顔面片側萎縮症かもしれない、先生を紹介します

と、病気が明らかになりそうになりましま。
このとき、人生初のMRIを経験。
…たぶん、このときだったと思います。。
麻酔?の点滴をうたれて、あの大きなドーム型の機械に入っていきました。
「絶対に目を開けちゃダメ!!動いちゃダメ」と何度も言われ、目を開けないように必死だった記憶があります。
時間も長くて、いろんな人に「よくがんばったね」と言われました。

ある形成外科病院で、はっきりParry Romberg syndromeと診断されました。
そこからは、経過を見るのみ。

経過を見守るのみ。

治療は、いわゆる再建手術。

という感じで、年に2回くらい病院に行き、触診と写真とレントゲンを撮っていました。

小学生くらい
半年に一度、学校を休んで母と病院に行きました。
レントゲンは独特の体勢で撮らされており、なかなかの経験でした。
だいたい朝一で病院に行き、たくさんデータを撮られて、少し疲れたところで
お昼はご馳走を食べていました。
母は、病院に行く日はスペシャルな日にしてくれていました。
だから、私は定期検診に行くことに対して
ネガティブなイメージを抱きませんでした。
今振り返ると、病院で

進行してますね

と言われても、すごいショック!とかではなくて、

ああ、進行してるのかー

みたいな感覚だったように思います。
あまり覚えてませんが。

小学生の高学年になる頃?あたりで
手術の話が出ました。

参考写真を見せてもらいながら説明を受けました。
なかなかリアルな(グロい)写真もあった気がします。
このときの記憶が断片的で、「私は何とも思ってなかった」と思っていたのですが、
母に、「あのときは、すごいショックを受けてたじゃない。泣いて手術しないって言ってたよ
と言われました。

全然覚えてません!
人間って、いや私は都合いいタイプなので記憶を消したのでしょう(笑)

そんな感じで小学校のときまでの
通院の話でした。

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病気との付き合い方について振り返ると、
家庭訪問では毎回病気について
母が先生にプレゼンしていました(笑)

学校生活では、数回だけ学校の子たちに
「なんでへこんでるの?」と言われたことがあります。

ただ、特に小学生の頃の私はひねくれていたので、
シカトor教えない!or病気だよ!(逆ギレw)
といった対応を返したと思います。
傷つく前にイライラしてたような記憶が…苦笑

たしかに、私は同じ病気の中でも軽症で
ぱっと見ですごい目立つとかでもないです。

目立たないかもしれませんが、分かる人には分かるって感じでしょうか。

でも特別髪で隠したりとかもせず、
へこみがあるから、どうこうって
してなかった気がします。

歯列矯正を始めたのも小学生のときでした。
今では、ロンバーグ病は歯列矯正の保険適用の疾患対象に入ってますが
当時はまだ保険外でした。
病院の先生が歯列矯正したほうがいいかも、と言って
病院ハシゴ(よくある)しました。
↑久しぶりに思い出しました。

誰の役に、何の役に立つのか
もしかしたら何の役にも立たないかもしれませんが
とりあえず、こんな感じで
中学生、高校生、大学生、社会人と
綴っていきたいと思います。

では、また。

病気のこと

8年前の今頃

そう、8年前の今頃、
初めての手術でした。

「あのとき手術という方法を選ばなければどうなったのか?」

私はあまりこういったことを考えたことがありません。

いや、最近は考えてないだけで前は考えていたのかもしれません。
覚えてないけれど…

どうしていたんだろう。
私のゴールは手術と決めきっていた16歳の私に
「手術以外にも方法あるんじゃない?手術って失敗もあるんだよ?」
と言って、考えさせていたら
何か変わっていたのでしょうか。

でも、あの夏の2カ月入院しなければ
高校生活はあんなに充実しなかったと思うし、
情報にもここまで興味を持たなかったし、
他の病気との出会いもなかったと思うし、
手術の経験がない自分は考えられないですね。

手術の失敗が悔しくて、
2カ月も入院したのに顔は変わらないという結果で
「無駄」とも受け取れることであり、
「手術しなきゃよかった」と思ったり、言われるような出来事で、

でも、どれも思いたくない・言われたくないことでした。

だから、自分で成功にすればいい、
自分の成功は、あの手術があったから、
そういう意義のあることに変えてしまえばいい、
と生意気な気持ちで走った気がします。

まだまだ通過点ですが、
先述したように、

手術しなかった自分が考えられない人生

というのを今は過ごして、進んでいます。

最近は落ち着き過ぎて、
そういうモチベーションが停滞してるので
それはそれで課題なのですが…

決して1人で頑張ってこられたわけではなく、
友人・知人の支えのおかげです。
家族は、いい距離で私の意志を尊重してくれました。

友人や知り合った方々には
感謝してもしきれないなーと思います。

全てがうまくいかないかもしれないけど、
自分の描いた姿に近づく努力はできるから、
一歩ずつ諦めずに進んでいきます。

これからもよろしくお願いします♪

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病気のこと, 日常

てくてく つるつる

こんばんは。

■気になること
寒くなると手術跡が少しきしんだ感じになること。
きしむというか、つっぱるというか?
独特の感じ。

落ち着かないと左後頭部の円形脱毛症の毛のない部分を触るの。
つるつるしてて、落ち着くのさ。
幼少期から、ずっと毛が生えないところ。

romberg yumi
顔用に使うための皮膚移植で切り取ったけど、再生しても毛は生えなかった。
人間の不思議だわー。

でも、皮膚は、でこぼこなった。
でも、時間と共に滑らかにもなってる。

ふしぎ。

◼︎今日の幸せ探しゲームの結果
・ドライヤーがうまくいって髪型が落ち着いた
・面白い人と出会った
・いよかんを買ってみた
・オロナミンCを飲んで、ばーちゃんを思い出して吹き出した
・文字が綺麗と褒められた
・風邪をひきそうでひかなかった

そんな感じの日。
ゆっくり温泉に浸かりたい感じ。

”感じ”って曖昧ですき。

今日もおつかれさま。